優心和尚のビジネスブログ

僧侶である優心和尚が日本人の心である仏教を通して既成ビジネスを語ります。

ブラック企業と称するもの

 

 今や学生間での話題が国会でも取沙汰されるようになってきました。

果たして、この「ブラック企業」と称するものは何なのだろう・・・

 「ブラック」「ブラックもどき」そして「グレー企業」との線引きはどこにあるのか?

 

 以前、優心和尚が一次産業である農業法人に関わった時の事例を紹介したいと思います。

 

 この一次産業という業界は外部からでは想像も付かないほど過酷な現場が多々あります。

その組織体にもよるのでしょうが、この度の企業はその過酷さを皆で共有化されていなかった。

それは正しく俗に云ういじめにも近い、いや、いじめそのもののような世界がそこには存在していた。

 従業員達も一様に高い不満を抱き、それは声となって四方から関係なく日々飛び込んでくる。

 だが、従業員達の本質は、この農業自体に携わる事を好み、この場から離れられないとも云う。

 その気持ちの隙間を上手に突いて経営者は扱っている・・ そんな現場であります。

 

 就業の契約も一見響きのよい「年俸制」へと変え、増々孤立を促進、共通項すら削ぐシステムへ・・・

各々個人に対しては、ハッキリ言って達成も出来ないような高いハードルを突きつけて恫喝する。

そしてそれを呑まなければいきなり「準社員」若しくは「パート」へと立場を変えられる。

正しく今で云う「ブラック企業」の典型だか、これが罷り通るご時世でもあるわけですね。

 

 優心和尚は皆と共に汗を流し、その実態を外からではなく体で感じようと努めていました。

3か月、6ヶ月、そして1年が過ぎて行きました。

どうしてこんなに月日をかけてまで携わろうとするのか? 私はその真意を訊ねてみました。

 すると「農業には農閑期と農繁期があり、一時だけを見て判断することは見間違う恐れがある・・」

なるほど、だからこそひとつのサイクルを総じて判断材料に加えるのだと理解が出来ました。

 

 しかし、一年を掛けたこのプロジェクトを、中途で諦めざるを得ない悲しい現実を見ました。

優心和尚自身の体が不調を唱え、実際に動けなくなるという事態が起こってしまったのです。

 「残念だ」「残念でならない」「これこそ無念だ」優心和尚は己の体に問うていました。

この経験を必ず次の場面に活かすべく、この現実を深く胸に刻み、現場を離れる事となりました。

 

 この様に、経営幹部と従業員間との意識のズレ、この乖離がより激しいものが「ブラック」だ。

 しかし、現状は従業員サイドからの一方向のみにて判断されているという偏ったものでもあります。

こうした場面では、経営側の「ブラック」との認識は比較的低いと云っても過言ではないと思います。

 

 最後に優心和尚が皆にポツリと話していました。

「経営者側にとって有利となる雇用に関する法を持つ一次産業には、特に隠れブラックが存在する。」

今でもその時の言葉が忘れられず、それ以来ずっと心に引っ掛かっています。

 

 気概を持ち、一次産業で必死に汗を流しておられる方々には、心から頭が下がります。

 

 合掌