優心和尚のビジネスブログ

僧侶である優心和尚が日本人の心である仏教を通して既成ビジネスを語ります。

宇宙人がいっぱい!?

 

 尖閣諸島における中国との問題。 従軍慰安婦を始めとする韓国との歴史認識でのズレ。

最近は我が国日本と近隣諸国間での様々な外交問題が各メディアを騒がしています。

 

 ところで、話題は一気に狭まりますが・・・

皆様におかれましても、身近な方々との対人関係での問題も様々でございましょう。

実際に家族間ですら、なかなか上手く意思疎通が行えないというのも現実にありますよね。

 だったら、尚更諸外国の方々とも上手くお付き合い出来ないとしても、当然と云えるでしょう。

 

 「相手の立場になり考えよう・・」と良く云われますね。

それも、相手の全てを何もかも知り尽くした上で「相手の立場に・・」ってなら立てるかも知れません。

それが程々の認識しか持たずして、「相手の立場に・・」ってのは、やはり常識的に無理のある話です。

 

 ちょっとしたトラブルに対し、どう対処しようかと熟慮している間に、大きなトラブルへと発展。

どうにもこうにも収める事が難しくなった・・という相談もよくあります。

 ビジネス上のクレーム対策として対処する事は出来ても、近親間ではちよっと事情が異なる。

昨夜、そんな相談が優心和尚に持ち掛けられました。

 

 その回答が相手を宇宙人だと思いなさい。・・・というものでした。

どうしても姿形が同じなので、その見える容姿から、ついつい中身 (考え) も同じだと思ってしまう。

それが根底に存在する限り、この問題は永遠に解決を見ないだろう・・・という。

 

 なるほど、宇宙人ね。 

そう思う事が出来れば、喩え相手との考え方に格差が生じたとしても、容易に呑み込む事ができる。

「何でだぁー」と気を揉む事も少なくなりそうで、精神的にも楽になりそうですね。

 

 それだけじゃない・・・と優心和尚は続けて話してくれました。

ここでの重要なポイントは、相手を宇宙人と仮定することで、「諦め」が生じないということ。

こういう場合、得てして「しようがない」「どうせ分かってもらえない」と考えて納得して終わるのが常。

これでは、自己、そして相手に対しても、所詮そうだという「諦め」の気持ちで収束を図ってしまう。

しかし、相手が宇宙人であるからこそ、「理解し合えないのは当然」とした認識になる。

そこには「諦め」ではなく、必ず確認」「理解」「納得がある。

確認理解納得した上で、さぁどうするか? のスタートラインに立つ訳です。

 

 なぁーるほど、後ろ向きな考えではなく、前向きな発想に転換出来るという事ですね!

それはとっても素晴らしい!・・と思いました。

その様に考えると私の周りは「宇宙人」がいっぱいだぁ~・・って事になる。

でもその私自身も「宇宙人」なのだ!・・・ということを忘れていました・・・(笑)

 

 考え方ひとつで、ホントに前向きに事物を進めて行けるものなんだなぁ~・・と

改めて「宇宙人」より教えて貰いました。

 

 合掌

アドリブで生きる

 

 昨日、優心和尚宛に、気になる残暑見舞いの返事が1通届きました。

 そのお相手の方は、ある地方でねじ切りの工場を長く営んで来られた社長様からのご返事でした。

 

 その内容とは、この夏に工場を閉鎖されたという内容のものでした。

優心和尚とは、18年を過ぎるお付き合いの社長様です。

 

 手紙を見るなり、優心和尚は直ぐに電話を手に取り話し始めました。

久しく会っていない為か、始めは柔和なご挨拶が長く続いておりましたが、急にトーンが下がりました。

 

 切実な話に何度も相槌を打っていた優心和尚が、ゆっくりと厳しい顔で語り始めました。

その話の中で気になった言葉が「断念を重ねる」「捨ててゆくものが増える」という言葉。

もっと気になった言葉が「みっともない事を繰り返す」「成熟はイコール腐る」等の言葉でした。

 

 相手のリアクションが見聞き出来ないだけに、とても厳しい言葉を投げかけているなぁと感じました。

 

 電話が終わり、ひと段落したところで、「とっても厳しい言葉が出ていましたが・・」と尋ねました。

優心和尚のそれに対する応答は思いもよらぬものでした。

 

 「相手の心境を察し、相手の想いを逆にこちらから問い掛ける言葉を選んだ結果です。」と云う。

「でも、永年必死に踏ん張って来られ、この夏、心半ばで会社を閉じられた方へは厳しいですよね。」

しかしそこで「永らく頑張られたので、先ずはゆっくり・・」とか言われて本当に嬉しいのだろうか?

ここでホッと息を抜かれると、気持ちも体も全てが急激に老いてゆかれるのは分かっている。

 

 「人は胎児の段階から細胞は死滅しているという。」「もうその時点から死は始まっている。」

「壮年から中年を迎えると、あまり嬉しくはない話だが、加齢臭が伴うようになりますね。」

「それは生物学上では、老いが進み、腐ってゆく一端の事を云うらしい。」

 

 「何か生物学まで出てきたぞぉー」・・と、一瞬足が一歩後ろへ退いた。

確かに加齢という事はそういう意味なのかも・・・ それが「腐る」とは強烈な話だ。

 

 その後も優心和尚の話は続く・・・

 「だからこそ、1つの道を着実に、そして踏み外さず歩んだところで、最後はみんな同じ、腐るのだ。」

「型に嵌った所謂型通りの生き方では、もしもの時に対処出来なくなり、必ず行き詰まり悩む。」

「この社長は典型的な方。会社の営みが外れた途端、どうしたら良いのか迷い始めておられる。」

「そんな社長へ、型に嵌らず、敢えてアドリブで生きてこそ、人生は真に豊かになると伝えたかった。」

 

 そうなんだ、「アドリブで生きる」かぁ~

でも、どうしても周りの目が気になる。 何かに嵌っていないと不安にもなりますよね。

「アドリブで生きる」ってこれは理想にしか過ぎないとも思う。 私にはちょっと無理かな・・・

しかし、何かに失敗し、独り悔やんでいる時に「アドリブで生きる」っていうのは少し救われる気がする。

 

 そうだね。

例え理想通り生きては行けないとしても、周りで同じような思いで悩まれている方もおられる。

そうした方へ、この「アドリブで生きる」と声を掛けさせてもらえる自分で先ずはありたいと思いました。

 

 合掌

 

十六夜と「覚悟」

 

 昨夜は十五夜、美しいこの月はなかなか見れない・・と報道番組で取り上げられていました。

ここのところバタバタとしており、正直「月」を眺める事もしていないなぁ~と改めて気付かされました。

そして先程ちょっと眺めてみました。 今夜は「十六夜」です。

確かに美しい! きれいによーく見えますね。 ウサギの姿もくっきりと月面に確認が出来ます。

少しはマッタリと過ごしてみたいものですね。

巷の多くの方々も、日々何かに追われるように、同様にお仕事に励まれておられる事でしょう。

 

 優心和尚も一緒にこの月を眺め、こんな事を言っていました。

「この月の満ち欠け、これが自然の姿なんだ。美しくもまた残酷でもあるようだ・・」

 

 美しく残酷?とは・・ どういう事なのか問い直してみました。

優心和尚はこの月の満ち欠けに「」というものを連想すると云います。

大切な方を亡くした夜、空を見上げると今夜のような美しい満月だったとのこと。

その後、こんな話が続きました。

 「死という事はどういう事か? それは生きているという事。」

「だからこそ、今を一所懸命に生きるのです。」

「人は生きる限り生老病死を受け入れなければならず、そこに必要な事は覚悟をするということ。」

 

 そーかぁ~ 「生老病死」それは「覚悟」をするって事なんだ。

私はそれを受け入れ、現実的に「覚悟」が出来るのだろうか・・・と考えてしまいました。

 

 ここ近年ビジネスにおいても、一般生活の中においても、余り「覚悟」と云う言葉を聞かなくなった。

どうやら「覚悟」という言葉は、「危機管理」という言葉へ置き換えられているようだ。

よく「危機管理が大切」とか、自分の身を守るための「危機管理が欠けている」なんて云われる。

その先にある危険を回避すべく、事前に周到な準備が必要だという意味は理解出来る。

特に企業などはこの「危機管理」に膨大な予算を費やしている実情もある。

危機管理」は出来ているが、「覚悟」は出来ているのだろうか・・?

危機管理」より「覚悟をする」という方が本当は大切なのではないかと思う。

 

 優心和尚はこの話の中で、現代の日本人として欠けているのが「覚悟」なのです。

何かある度に避けて行く事ばかりを優先し、受け入れず、逃げ道ばかりを模索している。

この「覚悟」をしないから、「危機管理」と云って企業は準備の為に大金を垂れ流す。

費用でいうと「覚悟」はリーズナブル <「危機管理」はエクスペンシブなものという関係だ。

この「覚悟」という言葉の深さと重さを、ここにきて改めて思い知らされたような気がしました。

そうですよね、「危機管理は出来ているか?」と言われるより、

覚悟は出来ているか?」と言われる方がドキッとしますし、背筋が伸びるように響きますね。

 

 どうでしょう、皆様もこれからは「危機管理」と言わず、「覚悟」と使ってみませんか?

「十六夜」「月」そして「死」から「覚悟」と、今回もまた難しい話になってしまいましたね。

これから私はこの「覚悟」という言葉を、改めて真摯に受け入れた上で活用して行きたいと思います。

 

 合掌

 

 

半沢直樹

 

 ここ最近テレビ局各社さんが視聴率低迷に喘ぐ中、大ヒットの半沢直樹

いよいよこの22日(土)に最終回を迎える。

 会社にお勤めの方々を含む多くの国民の気持ちを一心に背負ったドラマ仕立てでありますね。

これだけの話題ドラマ半沢直樹である。 当然優心和尚も見ているのかな・・と聞いてみた。

 

 優心和尚は全く見たことがない・・という。

話題になっているということ、そして半沢直樹という題名は知っているという程度でした。

 

 その後少し間を置いてこんな言葉が返ってきました・・・

 「我々の仏門の方がもっとドロドロとした旧態依然の体質の中で争っているのではないか?」

「大きな声では言えないが、外面と異なり、坊主の集団ほどギャップのある世界があるかな?」

 

 ちょっと嫌らしい話になってきましたが、確かに其々の宗門には想像を超えるものもあります。

 優心和尚もそうした中では「逸れモノ」の扱いです。

正直宗門の中では、完全に浮いた存在として捉えられています。

まぁ一言で云うと「変わり者」です。

 

 各々のタイプで区分を致しますと、優心和尚も半沢直樹を地で行っているタイプですね。

 

 ある時、ある方とのお話でこんなやり取りがありました。

 「君はなぜ僧職を捨て、こんな娑婆でしなくてもよい苦労を背負うのかね?」と言われ、

優心和尚は「私から僧職を奪わないで下さい。」「これが私の生きている証なのです。」

「あるがままの自分をあるがままに受け入れる、これが実に難しい。その姿が私自身なのです。」

 要は闘い競う相手は他者ではなく、常に自分自身であり、また自分自身が救いでもあると云う。

 それが出来ないからこそ凡夫であり、これこそ実際に生きる人間として当たり前の姿勢なのだと云う。

 なぁ~んかムズカシイ話になって来ちゃいましたー・・・(笑)

 

 優心和尚が云う半沢直樹とは、凡夫が正義感に燃え闘う姿が視聴者にとって痛快なんだね。

 あと、優心和尚がポロっと言っていました・・・

 あの半沢直樹役の ( 堺 雅人 ) はちょっと役に嵌ってないんじゃないかな・・・って

そうかなぁ~・・・  えっ!・・だったら見てるやん!・・・(笑)

 

 半沢直樹への憧れを抱いている方が多数おられるとも云うが、

自ずとその人その人で与えられた役割があり、役割で無き人が真似をしてはいけないとも云う。

 

 優心和尚が最後に大切な事を教えてくれました。

 先ずは「ちっちゃな勇気」を持つ事。 そして「立派なカッコ悪さ」がその人を成長へ導くのだと・・・

 

 そうかぁ~ 何もカッコをつけて生きなくていいんだよね。 無理をしない、無理をしない・・・

自分の出来る「ちっちゃな勇気」を探して、そいつを持ち続けて行ければと思った次第であります。

 

 合掌

 

 

答えは常に自分の外にある。

 

 よーく行き詰った際に、「もっと自分の内面を見つめてみれば・・・」とか、

もう一度自分の心に問い直せ!」・・・なんてこと言われたことありませんか?

一般的に迷いが生じた際には、自分の気持ちを素直に見つめ直すなんて事はよくありますね。

 それはそれで大切な事ですし、自身のやって来た事を冷静に振り返る事も必要なことでしょう。

しかし、本当に行き詰まっている他者に接し、簡単にこの様な言葉を掛ける事はより相手を悩ませます。

 

 良く言われることですが、実は自分自身の事が一番解かり辛いのは誰もがご存知だと思います。

ですから人は巷の占いを気にしたり、誰かにその思いを伝えたく相談を掛けたりする訳です。

 

 自身で悩み、自身で苦しみ、自身で必死に答えを探すのも、それは自身という個の問題です。

しかし、これが他者からの相談となると、その案件は一気に180度異なり、絆の問題となります。

自分で苦しんで、自分の中に答えが見出せないからこそ、周りに対し相談を掛けてくるのです。

・・にも関わらず、そこで「よく自分に聞いてみたら?」「もう一度考えてみて?」とはどうだろうか?

 

 この様な際に優心和尚は、「答えは常に自分の外にあるよ」と寄り添い話し掛けます。

どれだけ深く思案しようとも、経験が無きものに対しては、自身の中から答えを導く事は無理である。

そこで逆に「自分の中で・・」と言うと、相手をより苦しみの淵へと追いやる事となります。

こういう時こそ、他者はどうしているのか? 周りはどう考えているのか? よく観察してみましょうと・・・

 

 

 例え初めは他人の真似でも良いと思います。 先ずは解決に向け一歩前へ進み出すことです。

実際に動き出すことで冷静さを取戻し、心も解放状態のニュートラルの位置へと呼び戻せます。

ここまで辿り着ければ、周りをしっかりと認識し、ある意味求めるべき答えが見えてくる事でしょう。

あとは周りがどこまでゆったりと待っていてあげられるか・・・

 

  どんなものにも「答え」もしくは「答えらしきもの」はあります。

それを自分の中からだけで見い出そうとさせるのはかえって逆効果となってしまいます。

そして周りは「答え」ではなく、その人へ積極的に「応え」てあげて欲しいのです。

 

 どうでしょう?

「答えは常に自分の外にある」と自身でも思い、また他者へも伝えることで、

きっと自分自身も心が軽くなるでしょうし、他者の心も貴方によって救われると思います。

 

 合掌

 

日本の中の日本

 

 トヨタ自動車最高顧問 豊田英二氏

17日午前4時32分、心不全の為、愛知県豊田市のトヨタ記念病院で死去されました。

なんと100歳だった。

 トヨタ自動車の代名詞となった「カンバン方式」の確立にご尽力されました。

正しくトヨタ自動車の「中興の祖」と呼ばれるに相応しいご活躍でした。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

 優心和尚はこの度の豊田英二氏の件についてこの様な話をしていました。

 

 大切な「日本の中の日本」の灯がまたひとつ消えてしまいました。 残念だ・・・

 

 その「日本の中の日本」とはどの様な意味なのかを尋ねてみますと・・・

 

 戦中戦後の貴重な時代を生き抜いて来られた方々の象徴です。

戦後生まれの日本人と、それ以前の方々とでは、同じ日本人でも考え方・生き方が全く異なります。

それを図形で表すと、中心部の円弧がこの方々であり、それを取り巻くのが所謂現代人です。

 何が異なるのかと云うと、

戦中戦後を生き抜いて来られた方々の多くは、各々誰かの身代わりで生きておられるのです。

決してご自身で語られる事は無いが、自身の身代わりで亡くしたを背負って生きておられます。

そうして生きようと決められた瞬間から、彼らには己の人生は無いのです。

それが「日本の中の日本」の日本人たる姿であります。

結果的には、誰かの為に己を責め続け今日まで生き抜いて来られました。

 

 彼らのその様な生き方が、戦後の「日本人」の象徴的なイメージとなって広まって行きました。

 男は無口で多くを語らず背中で語る・・なんて感じですかね。

折しも経済発展の真っ最中に、他国ではこの様な日本人の心を理解出来なかった。

・・・というよりも、伝える手段がなかったのだと思います。

 その様な他国との障害と同様の摩擦が今の現役との間で生まれているように感じてなりません。

その状況も併せて「日本の中の日本」と象徴的に敢えて申し上げるようにしています。

 

 こうした「日本の中の日本」と同様の感情を持つ方々が減りつつあるのか? と云うとそうでもない。

とても悲しいご体験となるが、「阪神淡路大震災」「東日本大震災」などの被災体験者の方々です。

この辛く消し去る事の出来ぬ被災体験者の方々も「日本の中の日本」と同様の感情を抱かれます。

消してこの様な未曾有な体験をされる方を増やしたくは無いが、貴重な体験ではありましょう。

どの様な言葉を使っても伝える事の出来ぬ、そうした心を抱く方も一方では少なくないのです。

 

 そんな現代だからこそ、同じ「日本の中の日本」の心として、互いにコミュニケート出来ればよい。

これからの日本の発展に忘れてはならぬもの、それが「日本の中の日本」にあるのです。

謙虚にこの思いを受け止める事が、本来の世界の中の日本を創り上げるのです。 

 

  優心和尚の思いを伝える為、少し重く難しい内容となってしまいました。

 

 今回は、豊田英二氏死去の報道よりこの様な話に発展致しました。

これもまた、その様な機会を改めて頂けたものと心より感謝を申し上げます。

 

 合掌

 

鏡を見ず窓を見よ!

 

 ここ最近、年齢、性別に関係なく、お話を頂く方の多くに気になる共通点を感じます。

先日ある女性の方と優心和尚との間でこの様なやり取りがありました。

 

 「私は一生懸命やっているのですが・・・」 「何故周りは気付いてくれないのでしょうか?」

「どうしてその様に言われなければいけないの?」と、自己主張の強いご返答ばかりが続きます。

( 個人的なご相談内容につき、内容に触れるような表現は避けさせて頂きますのでご容赦下さい。)

 この様に、周りは関係なく、自己中心的なお考えをお持ちの方が増えているように感じるのです。

 

 ここで優心和尚がご相談者へお話をされていた印象的な部分を今回は抜粋し紹介させて頂きます。

 かなりの長い時間、お話にそっと寄り添っていた優心和尚が、時を見計らい次の言葉を掛けました。

「貴方は自身の中の鏡ばかりを見ていませんか?」・・( 自分を常に正当化したい心 )

「その鏡にはご自身の姿しか今は映っていませんよね?」・・( 狭く限られた社会への反抗心 )

「正直今の貴方は鏡の中での孤立状態で、それでは何方も貴方を受け入れようとはしませんね。」

ですから・・・

「その様な時こそ、鏡を見るばかりではなく、同じガラスでも、貴方のすぐ傍の窓を見てみませんか?」

「その窓は果てしなく広がる社会へと繋がっています。」

「そして貴方自身がその窓を磨けば磨くほど外が綺麗に見えてきます。」

「窓を磨く事、それは貴方の心(内面)を磨き輝かせることになるのです。」

その結果、

「外の灯より内の自分がより明るく輝けば、その窓ガラスにさえ自身を映し出す事も出来るのです。」

 

  とても素晴らしい話だと思いました。

そのあと、「私も一所懸命窓を磨きます!」と優心和尚に言うと・・・

 「誰も一所懸命磨けとは言っていませんよ・・」と言う。

今回の解釈は、自分が思うほど人は自分の事を見ていませんよ・・と云う意味なのだという。

 「人生計画なし!」・・もっと人生を楽しむべき。

「何も心配することはない。自然に任せ、そして成るようになる。」

「あとは佛に預ければそれで良い。」のだと・・・

 

 何か私の心がスッと楽になった瞬間でもありました。

心を締め付けず、ある意味無闇に型へも嵌めず、自分らしく生きて行けると良いですね。

どうぞご覧の皆様も、この様な心持ちでこれから過ごして頂ければ・・と心中より願っております。

 

 合掌