優心和尚のビジネスブログ

僧侶である優心和尚が日本人の心である仏教を通して既成ビジネスを語ります。

十六夜と「覚悟」

 

 昨夜は十五夜、美しいこの月はなかなか見れない・・と報道番組で取り上げられていました。

ここのところバタバタとしており、正直「月」を眺める事もしていないなぁ~と改めて気付かされました。

そして先程ちょっと眺めてみました。 今夜は「十六夜」です。

確かに美しい! きれいによーく見えますね。 ウサギの姿もくっきりと月面に確認が出来ます。

少しはマッタリと過ごしてみたいものですね。

巷の多くの方々も、日々何かに追われるように、同様にお仕事に励まれておられる事でしょう。

 

 優心和尚も一緒にこの月を眺め、こんな事を言っていました。

「この月の満ち欠け、これが自然の姿なんだ。美しくもまた残酷でもあるようだ・・」

 

 美しく残酷?とは・・ どういう事なのか問い直してみました。

優心和尚はこの月の満ち欠けに「」というものを連想すると云います。

大切な方を亡くした夜、空を見上げると今夜のような美しい満月だったとのこと。

その後、こんな話が続きました。

 「死という事はどういう事か? それは生きているという事。」

「だからこそ、今を一所懸命に生きるのです。」

「人は生きる限り生老病死を受け入れなければならず、そこに必要な事は覚悟をするということ。」

 

 そーかぁ~ 「生老病死」それは「覚悟」をするって事なんだ。

私はそれを受け入れ、現実的に「覚悟」が出来るのだろうか・・・と考えてしまいました。

 

 ここ近年ビジネスにおいても、一般生活の中においても、余り「覚悟」と云う言葉を聞かなくなった。

どうやら「覚悟」という言葉は、「危機管理」という言葉へ置き換えられているようだ。

よく「危機管理が大切」とか、自分の身を守るための「危機管理が欠けている」なんて云われる。

その先にある危険を回避すべく、事前に周到な準備が必要だという意味は理解出来る。

特に企業などはこの「危機管理」に膨大な予算を費やしている実情もある。

危機管理」は出来ているが、「覚悟」は出来ているのだろうか・・?

危機管理」より「覚悟をする」という方が本当は大切なのではないかと思う。

 

 優心和尚はこの話の中で、現代の日本人として欠けているのが「覚悟」なのです。

何かある度に避けて行く事ばかりを優先し、受け入れず、逃げ道ばかりを模索している。

この「覚悟」をしないから、「危機管理」と云って企業は準備の為に大金を垂れ流す。

費用でいうと「覚悟」はリーズナブル <「危機管理」はエクスペンシブなものという関係だ。

この「覚悟」という言葉の深さと重さを、ここにきて改めて思い知らされたような気がしました。

そうですよね、「危機管理は出来ているか?」と言われるより、

覚悟は出来ているか?」と言われる方がドキッとしますし、背筋が伸びるように響きますね。

 

 どうでしょう、皆様もこれからは「危機管理」と言わず、「覚悟」と使ってみませんか?

「十六夜」「月」そして「死」から「覚悟」と、今回もまた難しい話になってしまいましたね。

これから私はこの「覚悟」という言葉を、改めて真摯に受け入れた上で活用して行きたいと思います。

 

 合掌