アドリブで生きる
昨日、優心和尚宛に、気になる残暑見舞いの返事が1通届きました。
そのお相手の方は、ある地方でねじ切りの工場を長く営んで来られた社長様からのご返事でした。
その内容とは、この夏に工場を閉鎖されたという内容のものでした。
優心和尚とは、18年を過ぎるお付き合いの社長様です。
手紙を見るなり、優心和尚は直ぐに電話を手に取り話し始めました。
久しく会っていない為か、始めは柔和なご挨拶が長く続いておりましたが、急にトーンが下がりました。
切実な話に何度も相槌を打っていた優心和尚が、ゆっくりと厳しい顔で語り始めました。
その話の中で気になった言葉が「断念を重ねる」「捨ててゆくものが増える」という言葉。
もっと気になった言葉が「みっともない事を繰り返す」「成熟はイコール腐る」等の言葉でした。
相手のリアクションが見聞き出来ないだけに、とても厳しい言葉を投げかけているなぁと感じました。
電話が終わり、ひと段落したところで、「とっても厳しい言葉が出ていましたが・・」と尋ねました。
優心和尚のそれに対する応答は思いもよらぬものでした。
「相手の心境を察し、相手の想いを逆にこちらから問い掛ける言葉を選んだ結果です。」と云う。
「でも、永年必死に踏ん張って来られ、この夏、心半ばで会社を閉じられた方へは厳しいですよね。」
しかしそこで「永らく頑張られたので、先ずはゆっくり・・」とか言われて本当に嬉しいのだろうか?
ここでホッと息を抜かれると、気持ちも体も全てが急激に老いてゆかれるのは分かっている。
「人は胎児の段階から細胞は死滅しているという。」「もうその時点から死は始まっている。」
「壮年から中年を迎えると、あまり嬉しくはない話だが、加齢臭が伴うようになりますね。」
「それは生物学上では、老いが進み、腐ってゆく一端の事を云うらしい。」
「何か生物学まで出てきたぞぉー」・・と、一瞬足が一歩後ろへ退いた。
確かに加齢という事はそういう意味なのかも・・・ それが「腐る」とは強烈な話だ。
その後も優心和尚の話は続く・・・
「だからこそ、1つの道を着実に、そして踏み外さず歩んだところで、最後はみんな同じ、腐るのだ。」
「型に嵌った所謂型通りの生き方では、もしもの時に対処出来なくなり、必ず行き詰まり悩む。」
「この社長は典型的な方。会社の営みが外れた途端、どうしたら良いのか迷い始めておられる。」
「そんな社長へ、型に嵌らず、敢えてアドリブで生きてこそ、人生は真に豊かになると伝えたかった。」
そうなんだ、「アドリブで生きる」かぁ~
でも、どうしても周りの目が気になる。 何かに嵌っていないと不安にもなりますよね。
「アドリブで生きる」ってこれは理想にしか過ぎないとも思う。 私にはちょっと無理かな・・・
しかし、何かに失敗し、独り悔やんでいる時に「アドリブで生きる」っていうのは少し救われる気がする。
そうだね。
例え理想通り生きては行けないとしても、周りで同じような思いで悩まれている方もおられる。
そうした方へ、この「アドリブで生きる」と声を掛けさせてもらえる自分で先ずはありたいと思いました。
合掌