答えは常に自分の外にある。
よーく行き詰った際に、「もっと自分の内面を見つめてみれば・・・」とか、
「もう一度自分の心に問い直せ!」・・・なんてこと言われたことありませんか?
一般的に迷いが生じた際には、自分の気持ちを素直に見つめ直すなんて事はよくありますね。
それはそれで大切な事ですし、自身のやって来た事を冷静に振り返る事も必要なことでしょう。
しかし、本当に行き詰まっている他者に接し、簡単にこの様な言葉を掛ける事はより相手を悩ませます。
良く言われることですが、実は自分自身の事が一番解かり辛いのは誰もがご存知だと思います。
ですから人は巷の占いを気にしたり、誰かにその思いを伝えたく相談を掛けたりする訳です。
自身で悩み、自身で苦しみ、自身で必死に答えを探すのも、それは自身という個の問題です。
しかし、これが他者からの相談となると、その案件は一気に180度異なり、絆の問題となります。
自分で苦しんで、自分の中に答えが見出せないからこそ、周りに対し相談を掛けてくるのです。
・・にも関わらず、そこで「よく自分に聞いてみたら?」「もう一度考えてみて?」とはどうだろうか?
この様な際に優心和尚は、「答えは常に自分の外にあるよ」と寄り添い話し掛けます。
どれだけ深く思案しようとも、経験が無きものに対しては、自身の中から答えを導く事は無理である。
そこで逆に「自分の中で・・」と言うと、相手をより苦しみの淵へと追いやる事となります。
こういう時こそ、他者はどうしているのか? 周りはどう考えているのか? よく観察してみましょうと・・・
例え初めは他人の真似でも良いと思います。 先ずは解決に向け一歩前へ進み出すことです。
実際に動き出すことで冷静さを取戻し、心も解放状態のニュートラルの位置へと呼び戻せます。
ここまで辿り着ければ、周りをしっかりと認識し、ある意味求めるべき答えが見えてくる事でしょう。
あとは周りがどこまでゆったりと待っていてあげられるか・・・
どんなものにも「答え」もしくは「答えらしきもの」はあります。
それを自分の中からだけで見い出そうとさせるのはかえって逆効果となってしまいます。
そして周りは「答え」ではなく、その人へ積極的に「応え」てあげて欲しいのです。
どうでしょう?
「答えは常に自分の外にある」と自身でも思い、また他者へも伝えることで、
きっと自分自身も心が軽くなるでしょうし、他者の心も貴方によって救われると思います。
合掌