優心和尚のビジネスブログ

僧侶である優心和尚が日本人の心である仏教を通して既成ビジネスを語ります。

●ばら撒きから循環へ●

 

優心和尚 の付き添いで企業訪問を致しますと、

至る処で最近、

同じようなご質問を度々お受けするケースが増しております。

それはズバリ「総選挙」に伴う今後の日本、そして「経済動向」であります。

 

先日、製造工場を営まれておられる社長ご一家との歓談の際、

そのご子息様より「今回の選挙どーされますか?」

そして「自身は選挙権を有するもこれまで投票の経験がない・・」とのお話。

その様なご質問に際し、

優心和尚壮大なるプラン (侍従の私がその様に思った・・) を切々と述べ、

その方々への「回答」としてお話されていた事がとても興味深く、

その内容を理解出来た範囲で早速記述して参らねばと思った次第です。

 

毎回 優心和尚 は、

「宗教者が政治に口を挟むものではない。」と仰ると割には、

結構真剣に「政治」に関して深く、熱くご意見を述べられております。

今回はその「語り」の一説の中で、

特に総選挙で注目を浴びている「一律給付」の部分について、

抜粋して取り上げさせて頂きます。

 

>>>>これより 優心和尚 のお話し内容を纏めて記述致します。<<<<

 

政府(自民党)は例に漏れず、

コロナに関わる2回目の給付金ばら撒きを、

衆院選挙の主要公約として掲げていますね。

公明党は、ばら撒き感を薄めるかの如く、

子供への未来投資の意味合いを絡めて公約としている。

野党も選挙公約へ同等のばら撒き案を掲げざるを得ず、

全く智慧を持たずして対立軸も無く、

内容の乏しい選挙に、それこそ国民の血税がそこへばら撒かれ、

日本国民のひとりとして誠に残念で情けない思いだ。

 

今回のばら撒き案は、

単なる票取り以外の何物でもなく、

もはやそれが「周知の事実」となってはいるが、

国民サイドで云わせてもらうと「羞恥の事実」となる。

( 読みが一緒でも意味合いが大きく異なるとここで笑いを取られる・・)

結果的に税(国債) を財源とする以上、

これはこれで若人に「給付金」を貸し付け、

大きな負担をお願いする・・よりは、押付けているのは明白ですね。

正しく責任の先送りである。

これを知り、今回の給付金を得る事自体、とてもとても忍び難い訳です。

 

東北の震災復興でさえ、

2013年から2037年の25年間に渡り、

国民一律「復興特別税」が課せられ、

所得税より応分の負担を持って、復興の財源が捻出されていますね。

 

前出の「復興税」は、

その地域に関わる負担を国民総出で賄い、

応分の負担を担っているのです。

今回のコロナに係る「給付金」は、多くの国民が享受する。

そうした「給付」であるにも関わらず、

その目的に値する財源すら示されず、

スッキリとしないごまかし感満載の案であると思います。

 

ここからが 優心和尚 自身による提案の一節です…

 

今回の「給付金」を、国内企業の旗振りにより、

多くの「支援金」を集め、それを一旦「給付金」の財源へ充てる。

正しく日本の企業が手を繋ぐ「協業」により、この難局を乗り切る策となります。

何故ならば、

我が国の幾何かなる企業は、それだけの事を為すべく義務がある。

そして、それだけの体力も有している。

 

以下にその意たる根拠を述する。

 

日本の最たる企業は、

これまで「納税」という義務に関しては、

十分過ぎる程の優遇を受けてきました。

企業側からすれば「合法」であり、「脱税」ではないと主張するのでしょうが、

そこは国民からすれば、逸脱した優遇策であると見えてしまう。

そこより漏れた大・中・小の企業関係者やサラリーマン達は特にそうでしょう。

 

ここで近年の「実効税率」を見てみたい。

 

中小企業の平均がおよそ 30%前後 の中、

25%にも満たない大企業が 124社 も存在する。

※ [2016年4月期~2019年3月期] 連結ベース

 の合計金額を用い、税引前当期純利益

 当期純利益、調整後法人税額を調査。

 3年合計当期純利益300億円以上企業対象

 

財務省 [法人課税に関する基本的な資料] では、

直近の法人実効税率(2018年度以降)は、「29.74%」となっている。

直近の法人実効税率の水準を下回る企業は、実に「277社」存在する。

 

その中で、前出の通り、

敢えてここではその企業名は公表しないが、

何と 25%を下回る企業「124社」もある。

 

その様な企業の中から、

自主的に率先して旗を振る扇動企業が現れて、

「協業」を皆に働きかけ「支援金拠出」を呼びかけ捻出する。

その「支援金」を財源に今回の「給付」政策を実施する。

そしてその「給付方法」は、

幅広く活用出来る「クーポン」とし、歩留まりを抑制し早期の市場還流を図る。

自治(市町村)は住民登録簿により必要額を確認し「支援額」(都道府県)へ要求。

中間手数料に関わる利権争いを避ける為、一切を協力金融機関預けとして預託し、

都道府県により取り纏められた額を各自治体へ直接送金出来る体制を構築する。

 

この「支援金」に賛同し協力を担った企業は、後にその「企業名」を公表する。

但し、知りたいであろう個別の「支援額」の内訳は意図して公表しない。

国民へはその「志し」を認知して貰う。( 敢えて納税優遇に触れることはない。)

 

これにより、

国民は公表された企業に好感を持ち「製品・商品」への購買意識が高まり、

企業収益が上がり、必然的にその企業価値が見直され、

株式投資が盛んとなり、これをきっかけとして市況へも好循環がもたらされる。

少なからず景気浮揚へ踏み出す足掛かりの一旦がここで構築され、

これまで置き去りにされてきた国民所得押し上げの一助となれば成功と云える。

全てはいい事尽くめではあるのだが、そこに既得権や中抜きならぬ利権が絡むと、

方向性や元々の意義が滅される事となり兼ねない。

だからこそ、ここは政治主導ではなく、有志による企業間の「協業」が重要となる。

 

ここに至り、この様な声を上げる政党もなく、周りを様子見する企業ばかりで、

現実は完全にシラけ切ったムードを漂わせている状況に落胆の色が隠せない。

優れたリーダー、

志しのある企業が現れる事を心より期待しつつ、

日々を単に消費して行く我々を悔いて行くのだろうか・・・

その様に 優心和尚 は珍しく後ろ向きに話を纏められておりました。

 

この「提案」をふり返り「侍従」として思うこと・・・

 

さて、この「提案」自体、とても真っ当で良く出来ていると思います。

そして「政治」「経済」に疎いとされるわ我々 凡夫 でさえ良く分かる内容です。

 

是非是非この 優心和尚「提案」を、

どなたか志しをお持ちの方に「提言」としてお纏め頂き、

実現化へ向けひと肌脱いで頂ける同志のご協力を仰ぎたく存ずる次第です。

 

また、良き意味で、広く拡散を頂けると、これも大変有難く存ずる次第です。

 

優心和尚「政治」には携わりません。

これだけはハッキリしています。

私たち「侍従」も同様です。

どちら様かご意思をお持ちの方に託すしか術がございません。

どうぞ皆様方に奇跡がありますように・・ 願うばかりです。

 

 

                             合 掌

 

● 胡坐をかく ●

 

優心和尚 のお付きとして、

最近、どちらの企業、職場へお顔出しに参りましても、

必ず冒頭で話題に上るものは、

やはり「コロナ」関連に纏わるご相談であります。

当然、挨拶代わりに業況を伺うところからのスタートとなりますから、

話題となる事は至極当然の事です。

そして結果「この先はどうなるのだろう・・」となってくる訳です。

 

先日「移動体エネルギー関連企業さん」へのご訪問に際し、

同じく「コロナ」が話題となり、

意外にも興味深い結論へ達したケースがございましたので、

今回はその際のやり取りを上手くお伝え出来ればと存じます。

 

その企業さん、

「ガソリンスタンド経営」を主体とし、

その関連事業に関わる数社を束ねる持ち株会社さん」であります。

 

昨年「安倍政権下」での第一回「緊急事態宣言」の発出時には、

「燃料」の売上が一気に落ち込むのと同時に、

「車販部門」へも影響が拡大し、大打撃状況であったようです。

現在も続く「飲食系」スケープゴートでは、

叩かれたとしても「協力金」なるバックアップが控えているだけまだ良い。

自社にはそうした恩恵すらなく、全て社の負債として背負うしか道がない。

経営資源確保の一環と称し「緊急融資」があったとしても、

借り辛い上、所詮借りられたとしても「急場凌ぎ」に過ぎない。

元来この「コロナ」が無ければ、

こうした借入金を背負う必要すら無かったとの恨み節である。

それはそうと、

昨年末くらいまでならまだ如何様にも我慢も出来た。

しかし、そーこーしている間に2年も経ようとしている中、

具体的な対策も取れず「緊急事態宣言」の発出を繰り返す政府の姿勢に、

もう 堪忍袋の緒も切れた と憤慨されているのである。

で、「この先どうなる?・・・」優心和尚 への問い掛けでありました。

 

この問い掛けに 優心和尚「一言」でお返しになられました。

「胡坐をかいている」との一言です・・・

そして、

「その意味はあなた方が一番良く認識されているのでは?」と仰います。

私はそれが何を意味しているのか、皆目見当すら立たないでいると、

優心和尚 と その経営者の方々が目を合わせながら、

ケタケタと小さく微笑んだかと思ったら、

腹を抱えて大声で笑い始めたのであります。

私も周りに合わせ笑って見せたものの、きっと目は笑ってなかったと思います。

そしてお一方が、

「優心和尚、それは トンチ ですか? それとも 嫌味??」

と笑いながら発します。

「トンチ でもなく、嫌味 でもありません。」

と 優心和尚 がお返しになられますと、

「そーですよね!」とより一層の笑いがそこに注がれました。

 

ここからは真面目な顔をされた 優心和尚 のお話です。

 

「蔓延当初より、他国とは異なる様相に、

さぞ世界中 ???・・になっていたものと想像されます。」

いみじくもその現象を20年6月4日 麻生副総理はこう表現しました。

他国とは民度のレベルが違う」と・・・

続いてその後 6月9日には、

「強制力がなく、みんなで自主的にやったところが一番すごい。」

「要請しただけで国民が賛同し頑張った。」

「国民として極めてクオリティーが高い。」

結果的にこれまでの政府対策は、

1にも2にも、この言葉が根底の上に成り立っている。

そう、

日本国民はこれまで我慢強く自ら行動制限を掛けてきた。

その国民性の上に国や専門家達はただ単に「胡坐をかく」こととなり、

本来国・専門家達が行わなければならない対策を怠ってきた。

その結果が「今」に繋がっているという。

 

冒頭の「胡坐をかいている」の苦笑へはここで繋がることとなる。

 

戦後から高度成長期に掛けての自動車産業の右肩上がりに順じ、

「ガソリンスタンド」の経営者達も、

何も手掛けずとも「売上 / 利益」とも倍増を毎年計上することが出来た。

結果、1990年以降より「失われた20年」と言われる最中においても、

一時 [1994年] 6万421店舗 のピーク以降、

ガソリンスタンドの全国店舗数は加速度的に減少を続け、

統計上確認出来る [2019年] 2万9千637店舗 へと減少している。

この間、経営者達は「胡坐をかいてきた」訳である。

そこで当時相談を受けた 優心和尚 が最初に放った言葉が、

この「胡坐をかく」であったとの事で、

当時を忍び、今回 優心和尚 のこのお言葉に反応をしたのであった。

 

話を元に戻すと、

この度、国により発表された本年8月度の「自宅待機による死亡者 250人」は、

真っ当な数字であるかは別として、

この様に、自宅療養を余儀なくされる方々が続出される状況は、

他国より見れば「天災」ではなく、確実に「人災」であるという事実。

あの多い時で 30万人/ 日 もの感染者を出した 米国 でさえも、

地域の「産・官・学・民」の4者連系によりパンデミックに立ち向かい、

最も危惧されていた医療崩壊を回避している事は称賛に値する。

これも遡ると、

オバマ政権時に「21世紀治療法」なる法案を 2016年 に成立させており、

これにより、様々な機関での情報共有がスムースに図られたという下地がある。

 

この先、保育園・小学校 など、

12歳以下の「ワクチン未接種」なる枠でのクラスター」が危惧されている。

今こそ、我が国の宝である「子供達」を守る為、

「胡坐」をかかず、行動に移す時である事は言うまでもない。

 

優心和尚 は最後にこのように申しました。

 

人間として、

何もせず、

何も言わず、

不正に立ち向かわず、

抑圧に抗議せず、

また、

自分たちにとってのよい社会、

よい生活を追い求めずにいることは、

不可能なのです。

 

また、

 

指導者には、民衆を正しい方向へ導いているという自信のもとに、

群れより先に行き、

新たな針路を拓かなくてはならないときがある。

 

これは惜しくも 2013年 12月 5日 95歳にて亡くなった、

南アフリカ共和国指導者

ネルソン・マンデラ の言葉を引用なさっておられます。

 

正しく「今」がその時で、

マンデラ氏 のこの言葉が誰しも胸に ストン と落ちるのではないか・・・

・・・と 優心和尚 は最後に締めくくっておられます。

 

◆ 後 述 ◆

私の様なお付きの従事であっても、

ひとりの凡夫とし、一市民・国民として、

改めてこの言葉を噛みしめることで、

ひとりでもこの様な行動に近づけるよう努力を重ね、

一層の精進が必要だと今更ながら心に誓う場面でありました。

 

少し長くなりましたが、

この場の雰囲気をより多くの皆様に上手くお伝え出来たかな・・って気になります。

ひとり一人、ひとつひとつのその コツコツ の姿勢が、

結果的に大きなうねりとなり、社会を動かすのだと思った出来事であります。

 

それでは次回へ向けて・・・

ご拝読に感謝を申し上げます。

 

                        合 掌

 

 

 

 

● 支配者無き変容統率社会 ●

 

先日 優心和尚 が、

経営者さん達の会合にて、

このコロナ禍の実情、この先について、

下記の様な質問を受けられ、興味深い回答でありましたので、

今回、このブログにてその内容を掲載させて頂く事と致しました。

 

== 質 問 ==

「このコロナ禍の現在、鳥瞰的に観て、どの様な状況でしょうか?」

 

== 優心和尚の回答 ==

 

社会全般を見渡すと・・・

 

ほんの少し前までは、

世の中「可愛らしい阿保な方」「愛すべき阿保な方々」が、

巷に多くたむろい、微笑ましい場面も多く見受けられた。

 

時の「寵児」と持て囃された「事業家さん達」は、

所謂その「阿保な方々」の括りを商圏範囲とし、上手く、賢く、手堅く、

課金システムなどを活用し、広く、浅く、荒稼ぎをされてきた。

 

しかし近年では、

その「阿保な方々」が極端に姿を変容し、

結果「救いようの無いお馬鹿さん達」が増殖されてきた。

 

「愛すべき阿保な方々」が多かった時代は、

一部の者が資本を独占し合っていたものの、

それはそれでも世の中は上手く流れお金も還流していた。

 

だが「救いようの無いお馬鹿さん達」が、

近年爆発的に増殖されたことにより、

「愛すべき阿保な方々」を主軸ターゲットとし、

経済を先導されてきた事業家さん達の先行きに、

深く深く暗い翳りを落とし始めた。

 

これが現代社会の根本問題であり、

社会思想 や 社会システム を起因とする構造的な問題では無く、

其々人間個々の人格的問題となる謂れである。

 

更に掘り下げると・・・

 

ここ最近では、

この「救いようの無いお馬鹿さん達」が、

全人口の過半を占めるようになり、

彼らの妄想がまるで正道であるかのような、

極端にねじ曲がった変質形成圧力が、この世を呈し始める。

 

ある程度までは「愛すべき阿保な方々」も、

一様に抗う姿勢を示すのではあるが、

徐々に強まるその曲がった圧力に屈し、

(・・・よりも流れに乗ってしまう方が楽だと気付き・・・)

増々「救いようの無いお馬鹿さん達」が、

当たり前のようにお大手を振って闊歩する。

こうした世が形成されてきた。

 

どう生き、どう考え、何を主張すべきかは、

個々の育ってきた環境により培われ、

本質となる「魂 (本来の根本)なる部分は、

これまで変えられないものとされてきた。

しかし、現社会においては、その「魂」なるものまで、

眼に見えぬ巨大圧力へ従わらずを得ず、

その「捩れ」「ギャップ」が、

個々個人のこれまで培った自信を喪失させ、

精神的な余裕まで奪い去り、

共存への変容にて曲がった道徳心により、

自身の居場所を守る行為として、

他者への攻撃までもが結果的に肯定されるようになる。

 

これが現代社会における暗脈問題であり、

底辺に横たわる根本要因となっている。

 

分かっていながら、誰もがこの部分より目を背ける。

そこには、

大衆への影響力を持つ著名な方々を配し、

主要マスメディアまでも大いに活用し、

表面的単純現象へ大衆を引き寄せつつ、

幼稚な幻惑的刷り込みを繰り返してゆく。

その結果、

「支配者無き変容統率社会」が定着されてゆくのである。

 

この様な社会状況は、

誰一人利益を得ることもない空虚な現実しか産み落とさない。

 

これが 優心和尚 が冷静に 且つ 鳥瞰的に見極めた現状との事です。

 

 

何となく分かっているようで分からないような・・・

 

しかし、優心和尚 が最後に語った

「誰一人利益を得ることもない空虚な現実しか産み落とさない」との意。

ここは力強く仰り、私の心にも刺さる部分ではあります。

 

その会合帰りに 優心和尚 へ尋ねました・・・

「この現状は変える事は出来ないのでしょうか?」と・・・

 

優心和尚 はこの様に仰いました。

「おかしな事はおかしい」

「間違っている事は間違っている」と、

皆がそのように口に出せる社会へ創り直す。

決して難しいことではない。

過去にも現代同様の時代もありそれを繰り返してきた。

今ならまだ間に合う、行動あるのみ!

誤った「忖度」はいりません。

各々が声を上げ、主張し論ずる。

これがこれまで人様が続けて来た姿勢ではないかと・・・

 

 

そうですね。

普通に考えればそーですね。

誰かが言ってくれる、誰かがやってくれるではなく、

自身が動けば、周りも動き出す。

能動的に動くべし!!

 

みなさまも是非、ここはひとつ皆で声をを上げ動こうではありませんか!

 

今回も ご拝読 に感謝です。

 

                             合 掌

 

 

世を変える

 

 

現在、我が国の関心事となっているひとつに「次期総選挙」がある。

優心和尚はこの「総選挙」をどの様に捉え、また、その考えを聞いてみました。

 

第一声は「私は宗教家である」「政治にものは申せぬ」と云う。

しかし「日本国民」であり有権者のひとりでもあると仰る。

その通りである・・・

 

有権者のひとりが発する呟きとして聴いて欲しいとのことです。

 

優心和尚曰く、

俗に云う「政治家」は、

政治を銭儲けの糧・家業とし、堂々と「政治家」を名乗っている。

その姿を為す輩へ国家を託せば、現下の様相をもたらすのも当然の結果であろう。

 

ここからは「理想論」として述べられています。

 

「政治」の礎はボランタリズムとなるそうです。

政策主体の国家活動は、大衆の自発性に基づく活動思想に支えられる もので、

社会的には「名誉職」に値し、個人の自由と独立の精神の上に成り立っている。

決して利権という個人の財を築く金融システムの一種としてはならない。

 

ならば、どの様な方を私共は選択をすべきか・・・

 

このボランタリズムを掲げる政治の「素人」へ託すべきだと云う。

実務は「各々の長」の周りへ優れたエージェントを配し舵取りを担ってもらう。

こうした論調を「政治家」たる輩へ話を振ると、

「素人には出来ん!」「素人には分からん!」と口裏を合わせ口火を斬ってくる。

それは単に「政争」を意味し「権力」へ支配された者の哀れな見解に過ぎない。

 

「世を変える」とは大袈裟なものではなく、

これまでの「捩れた常識」を元に戻す作業で、大胆に覆すことではないと云う。

 

決して恐れてはならない、これこそが「正道」であると仰います。

 

 

◉== 後 述 ==◉

一連の話を伺い、

正直「うぅーんと・・」という感じで受け止めてしまったのも事実です。

現実の話として「何処にその様な候補者がいるの・・?」となる。

・・となると、

「誰が当選しようと大差はない」「だったら投票へ行くまでもない・・」となる。

 

いやいや、それが「ダメ」なんですね。

文面下線部の「大衆の自発性に基づく活動思想に支えられる」というこの部分、

結局はこれが全てなんだなぁ~って、改めて気付かされた訳であります。

 

みなさま!

選挙へ興味を持ち、ひとり独りの「意思」「次期衆議院選挙」を通じ、

「投票」という行動で「自発的」に示して参りましょう!!

 

               

                             合 掌

 

優心和尚いよいよ動く!!

 

長年ご無沙汰 (7年ほど…)  で、お眠りとなっておりました「優心和尚」

この「令和3年」に入り、長い長い孤独な単身修行より目覚め、

いよいよ動き始めました!!

 

この間、現代社会は激動の時代へと移り、

待ったなしの「気候変動」への対処に加え、

新たな「ウイルス」により大きく様相が変貌しました。

 

さて、こうしてその眼(まなこ)「現社会」を見渡し眺め、

「優心和尚」は、非常に「残念」であり、

また「危惧」する点が いくつか存在する・・・と仰いました。

 

お伝えせねばならぬと強い意志をお持ちの様子で、

我々侍従にもその様(さま)と心底の想いがビシバシと伝わって参ります。

 

これより「新たなシリーズ」がスタートされます。

「優心和尚」が自身にて「お伝えせねばならぬこと」…、

これをこの回の初段とし、

以後「優心和尚」の発する新たな言葉を丁寧に傾聴し、

その都度みなさまへそのまま「忖度」せず、

色事負荷せずご伝達が出来ますよう、誠心誠意努めて参ります。

 

残念ながら、非定期なる発信と成らざるを得ないと存じますが、

是非ともみなさまには広大なお心でお待ち頂ければと願うばかりです。

 

みなさまへ分かり易く、侍従一同、誠の心その一心で臨んで参ります。

 

では「次回発信」まで、

どうぞお待ち頂けます様、心よりお願い申し上げます。

 

                                   合掌

「当たり前」を「当たり前」としない

 

 前回、損得感情という話題の中で、当たり前というワードが出ていました。

この回では、この当たり前という部分に着目をして参りたいと存じます。

 

 世界基準の「ビジネスライク」な判断とは異なり、日本特有の損得感情がキーワードでした。

 

 優心和尚は、「当たり前だと思える言動の再発見とその徹底」が大切であるという。

 

 セールス担当者は、一連の業務に慣れてくれば来る程、この当たり前をマンネリ化させてしまう。

慣れる事自体は素晴らしい事であっても、この当たり前の部分を軽視してしまう事は頂けない。

 

 この当たり前の重要性については、前回でもご説明をせさて頂いている通りです。

ごく日常の当たり前に焦点を当て、よりオーバーにこの当たり前を表現する事が重要であります。

人間の心理を逆手に取り上手く活用する方が、中途半端なテクニックを駆使するよりも効果的である。

 

 ここでひとつ、この当たり前をオーバーに表現した具体例を出してみましょう。

 ご来店頂いた顧客がお帰りになる際、「ありがとうございました!」となる例のあのシーンである。

顧客の姿が見えなくなるまで頭を下げ続け送り出すオーバーアクションをご覧頂いた事があるだろう。

 

 何故あそこまでのオーバーアクションが必要なのだろうか・・・?

自身ではこの当たり前の部分は既に伝わっているものと自分本位で勝手に判断してしまう。

しかし、それが意外とそうでもなく、これが当たり前過ぎて、顧客自体も案外スルーしています。

 

 自分が顧客だったら恥ずかしいので、サラッと済まして欲しいところなんだけどなぁ~

 優心和尚は恥ずかしくないですか?・・「そんな事は聞かなくてもよろしい」・・と叱られた・・(泣)

 

 大切なのはこの当たり前を活用し顧客へ強烈な印象付けを行う事で、恥ずかしさもその一つ。 

この「強烈な印象」・・で感の良い方はほぼお察し頂けたと思うが、ここがミソな訳ですね。

 

 それでは、これらを実際に実行し日常的に定着させるためには、いったい何が必要となるのだろうか。

先ずはご決断頂いた理由を顧客に対し尋ねてみる事から始めて頂ければ良いでしょう。

「他社と比べちょっと高かったけれど、貴方から買いたいと思ったから・・」と嬉しい回答。

「貴方の一所懸命な姿勢が気持ち良かったから・・」なんて返ってくればコンプリートですね。

気を留めて当たり前を続けていれば、必ずこの様な返答が聞けるはずです。

 

 この様に当たり前をよりオーバーに気持ちを込め行えば、必ず良い結果がついてきます。

それは、相手に対して自分自身気持ち良く、そして力強く印象付けが行えたからなのです。

 

 こんな簡単な事だけで本当にこんなにも反応があるのか?・・と優心和尚へ改めて確認すると・・・

 必ず反応は返ってきます!!

ここで大切な事は、何気ない言動が意外にも成果に大きく関わっている事を再認識して欲しいという。

 

 なるほど、そこまで言われるのならばやってみる価値があるのかも知れません。

要は当たり前」を当たり前としない・・・という事だと理解しました。

 

 先ずは皆さんも実践してみることから始めて下さい。

何故なら、その扉開くのは、いつもあなた自身からではなくてはならない・・のです。

 

 合掌

 

「損得勘定」ではなく「損得感情」

 

 近年はセールスの業績に伸び悩む企業さんもかなり良く耳に致します。

景気や時代背景を考慮したとしても、思うように業績が伸びない事は頭の痛いところであります。

 

 こうした企業さんの多くは、OJTやOFFJTで、接客術や応酬話法を対策の一つとされております。

優心和尚はこうした企業さんへ向けて、また別の切り口で説いています。

 

 顧客の年齢層や商材によりもちろん状況は異なるものの、基本概念は変わらないという。

ひとつのキーワードが損得勘定ではなく、損得感情で顧客は動く・・だそうです。

 

 損得感情・・・!?って感じですが・・・

 

 流石に若年層においては、情報が氾濫する中、「価格優先」「価格重視」の動きが強くなりました。

しかし、この感情を重要なファクターと位置付けるのは、日本人特有の風潮でもあります。

どうやら、「ドイツ人」にも同じような傾向が見られるらしいのですが・・・

それを逆手にとって営業活動へ上手く取り入れるという営業力強化を提唱しているのです。

 

 勘定は基本的に価格・・自分の求める購入金額レベルの範疇であるか・・です。

では、この損得感情感情はどの様に捉えれば良いのだろうか?

これは文字通り顧客の感情」(気持ち・安心や不満) を上手に操作する技術となります。

 

 うぅ~ん、ちょっと難しい話に入ってきたぞぉー・・・

 

 とってもシンプルな考え方では、損得勘定は商品のみ、損得感情は商品と貴方と考える。

損得感情は商品のみではなく、貴方も商品の1つ、購入する際の判断基準になると云う意です。

・・・という事は、売り手である貴方自身も商品の一部として捉えられている事を忘れてはならない。

お客様は商品以上に厳しい目でいつも貴方を観察しているのだと心に命ずるべきでしょう。

その前提で、「何をすべきか?」「ここでどのように反応すべきか?」が自ずと見えてくるというのです。

 

 ちょっと難しく、気持ち良く呑み込む事が出来ないなぁ~と思い、もう一段尋ねてみました。

 お客様は貴方の特別な「能力や個性」を観察しているのではなく「ごく日常」を見ているという。

具体的に上げると、貴方自身の当たり前とされる部分が最も重要視されている。

 

 なるほど、お客様は我々の極々普段の姿を見ているという事だと理解出来ました。

それを前提に考えてみますと、折衝時前段の余談が如何に大切であるかと再認識出来ますね。

改めてその当たり前とされる内容については、理解を深めてもらうことに致します。

 

 先ず多くの日本人は、損得感情を持って消費行動をしているのだと私なりに呑み込めました。

 どうぞ皆様も実際に自身の消費行動を第三者的に是非分析をしてみて下さい。

 

 合掌