「腰パン」から見える「精神的貧困」
日本でもヒップホップ系のファッションとして知られている所謂「腰パン」。
このファッションが本家発信元の米国で賛否両論の物議を呼んでいるという。
ズボンをずり下げるこのファッション「腰パン」を(SAGGY PANTS)というらしい。
この(SAGGY PANTS)を「風紀を乱す」とし、わざわざ条例で禁止する自治体が相次いでいる。
果たしてこのファッションが「クール」なのか、条例まで施行する自治体が「クール」なのか?
この「クール」というものをどのように捉えるべきか、優心和尚に尋ねてみました。
大人から見ると「乱れた服装」→「風紀が乱れる」→「コミュニティが荒れる」という構図でしょう。
地域住民からの途切れない苦情に屈した自治体が、苦肉の策で見出した解決策なのでしょう。
しかし、それは解決へ繋がる手段ではなく、単に苦情を和らげる為だけの施策に過ぎない。
この状況は、先進国特有の問題を、正に浮き彫りにしていると言えましょう。
この「腰パン」から見る「先進国特有の問題」・・とは何なのですか?
それは「精神的貧困」という問題だという。
経済的に満たされた社会構造は、それに反して「精神的貧困」へ向うという。
社会が守るべきシステムが奪われ、これがすべてその基となる家庭へと押し付けられる。
そうすることで、人々が増々孤立へと向うことになる。
話中の「社会が守るべきシステム」とは一体何なのですか?
そのシステムこそが「道徳観」であるという。
こうした「道徳」を教え伝える社会システムが、この様な社会では崩壊へと向うのである。
その「道徳観」を教え伝える者がいない事で、規則という「条例」を施行しなくてはならなくなる。
本来、「社会的空気」の中で、この「道徳観」が広がるべきで、決して規則で縛るものではない。
これこそが、正しく「精神的貧困」の典型的な姿であります。
基本的に若者のファッションを規則で縛るとは本末転倒である。
「腰パン」は正しく「クール」であっても、「条例」は同じ「クール」でも、「さむい」の方だ!
最後に・・・
今般、安倍政権では、憲法を始め情報に関する法律まで、国民を縛る方向へ進んでいるようです。
本来、憲法は国家権力者を縛るべきものであって、国民を縛るものではない。
我々は今の安倍政権が進む方向をしっかりと監視する必要があるのかも?・・とも思いました。
「さむい Japan!」ではなく、本当の「Real Cool Japan!」 を目指したいですね!!
合掌